56歳で会社員から美容師に。「第二の人生」成功の鍵は、在職中の入念な準備/㈱出前美容室若蛙 代表取締役 藤田 巌 氏

コラム&インタビュー

役職定年制度や定年延長制度を採用する企業が増加するなか、「働かないオジサン」「社内失業する中高年」といった言葉がメディアを飛び交い、ミドル・シニア(40代後半~50代)のモチベーション、パフォーマンスの低迷を問題視する風潮が高まっています。このようなミドル・シニア問題を生む要因はどこにあるのか? ミドル・シニア社員本人、制度・研修など施策を講じる人事担当者、現場をマネジメントする管理職、それぞれに求められることは何か? 本連載では、有識者・経営者が独自の視点から、ミドル・シニア活躍の実現に向けた提言を行います。

今回の提言者は藤田 巌氏。身体が不自由で外出困難な方、施設・病院に入居している方向けに、出張ヘアカット・パーマ・カラーリングなどの美容サービスを提供する㈱出前美容室若蛙(わかがえる)の創業者です。藤田氏は56歳のときに一念発起し、大手電機メーカーの営業職から美容師に転身した異色の経歴の持ち主。78歳になった今も現役の美容師として現場に立ち続ける藤田氏に、転身に至る経緯と中高年が新しい挑戦をするにあたっての心構えをお話いただきました。

 

  会社員時代はどのような仕事に携わっていらしたのですか?

藤田 自社製パソコンの営業活動です。30歳のときには、ブラジルの現地法人立ち上げに志願し、銀行や政府機関向けの営業を7年ほど経験しました。帰国後は法人営業部門や営業サポート部門で勤務し、58歳で定年退職を迎えました。

  そこからまったく畑違いの美容師に転身されたわけですが、決意されたのはいつ頃のことだったのでしょうか?

藤田 50歳になった頃でしたね。当時、会社の仲間とお酒を飲みに行くと、きまってリタイア後の話題になりました。関連会社に再就職する選択肢もあったのですが、私の定年美学とでも言いますか、60歳からはお金儲けのためではなく、何か人の役に立つ仕事がしたかった。そして、どうせやるなら、「人生二毛作」でまったく新しいことに挑戦したいと思い、講演会に足を運んだり、本を読んだりして、いろいろ模索し始めました。そんな折、ある新聞記事を目にして、強く心を動かされたんです。

  どのような記事だったのでしょうか?

藤田 高齢者施設で暮らす92歳のおばあさんの記事でした。身体の具合が悪いわけでもないのに、一日中ベッドに寝たきりで、まったく部屋から出ようとしない。ところが、美容師に髪をきれいにしてもらったら、嬉しそうにあちこち顔を出し、施設内を元気に歩き回るようになったと。美容師って、すごい仕事なんだなと感動しました。

また、同じ頃、母が病院や施設を出たり入ったりしていまして、いつも髪がボサボサだったんです。そんな姿を見ていたものですから、「美容師になれば、母の髪をきれいに整えてあげられる。恩返しができる」という気持ちもあいまって、挑戦してみようと決意しました。

  とはいえ、美容師になるには、美容専門学校を卒業しなければいけません。仕事と両立するのは、なかなか難しいように思うのですが。

藤田 そうですね。専門学校には入学を2回断られました。通信教育でしたから、学科は何とかできるにしても、年2回、2週間のスクーリングに参加しなければいけない。さらに、当時はまだインターン(実習)制度があり、実際に美容室で1年以上の実務経験を積む必要がありました。それはさすがにサラリーマンにはできないでしょうということだったんです。

でも、断られたら、逆にファイトがわいてきまして、「スクーリングは勤続30年のリフレッシュ休暇を利用して参加します」「インターンは定年退職後に行います」と食い下がりました。すると、学校側もとうとう折れて、入学を認めてくれたんです。また、入学後には、土日のみの勤務を認めてくださる美容室も紹介していただき、在職中にインターンを修了することができました。毎週土日出勤、給与なしで2年間。仕事との両立は確かに大変でしたが、それ以上にとても有難かったですね。

  想像するだけできつそうです。「やめたい」と思ったことはありませんでしたか?

藤田 体力的にきつくて…というのはなかったですが、国家試験の実技で2回不合格になったときはくじけそうになりました。やっぱりもういい年だし、手先も不器用だし、美容師には向いていないのかなと。でも、落ち込むたびに、イングリッド・バーグマンという往年の大女優が残した「私が後悔することは、 しなかったことであり、できなかったことではない」という言葉を思い出し、自分を奮い立たせていました。そして、3回目の挑戦で念願の美容師資格を取得することができたんです。定年退職まで残り2年となった56歳のときでした。

78歳になった今なお、現役の美容師として現場に立ち続けている藤田社長。