56歳で会社員から美容師に。「第二の人生」成功の鍵は、在職中の入念な準備/㈱出前美容室若蛙 代表取締役 藤田 巌 氏

コラム&インタビュー

  その後、介護ヘルパーの資格も取得されたそうですね。

藤田 ちょうど同じ頃、母ががんを患いまして、今後のために介護の勉強をしておこうと思ったんです。この経験が開業のヒントになりました。講座のなかに介護施設での実習があったのですが、たまたま理容師の方が来ていらして、入居者の散髪をされていたんです。見ると、女性がバリカンで髪を刈られていて、とても胸が痛みました。女性にとって、髪は本当に大切なものなのにと。

しかし、そのときに、自分がこれまで勉強してきた美容と介護を組み合わせた「福祉美容」というアイデアがひらめきました。高齢者や身体が不自由な方のための、出張と送迎をコンセプトにした美容室。こんなお店があれば、人の役に立てるのではないかと考えたわけです。そして、58歳で定年退職した後、イギリス留学や美容室での修行期間を経て、60歳の誕生日に「福祉美容室カットクリエイト21」を開業しました。

  開業後、お店の経営は順調に進まれたのですか?

藤田 いえいえ、とんでもない。美容の仕事は固定客がつくまでに時間がかかります。女性が美容室を変えるのは勇気がいることですからね。最初の5年くらいは大変でした。でも、地道に宣伝活動を続けた甲斐もあって、少しずつお得意様が増えていきました。

  どのような宣伝活動を?

藤田 まずは送迎車の後や横に「送迎やります」「出前カット」と大きく目立つように描いて、あちこち走り回りました。また、暇さえあれば、ポスティングにも行っていました。ポスティングはただチラシを投函するだけでは見てもらえませんから、チラシと割引券とお店の地図を茶封筒に入れて、「カットクリエイト21です! よろしくお願いします!」と一軒一軒ポストに頭を下げながら、投函するようにしていたんです。すると、2階のベランダで洗濯物を干していた奥さんに声をかけられて、ここぞとばかりにお店の紹介をしたら、「実はうちのおばあちゃんが…」という話になることもありました。あとは、井戸端会議をしている奥さんたちの輪に飛び込んでいって、封筒を手渡しするなんてこともしていましたね。

そんなことを何度も繰り返していくうち、口コミが広がっていったんです。そして、お客さまお一人お一人丁寧に、一生懸命サービスを行うなかで、リピートしてくださるお客さまも増えていきました。おかげさまで、現在は一都六県(神奈川・埼玉・千葉・栃木・群馬・茨城)で160の高齢者施設がお得意様になっています。

開業から12年で社員も50名(美容師45名/管理部門5名)に増えた。


  こうして事業を軌道に乗せられた今、中高年の働き方や生き方について、読者の皆さんに何かアドバイスするとしたら?

藤田 定年後のセカンドキャリアについて言うなら、定年退職した翌日からすぐにスタートを切れるよう、在職中から目標を定めて、入念に準備しておくことが大切です。「定年後、少し充電してから…」と考える方も多いかと思いますが、一度休んだ状態に慣れてしまうと、再び立ち上がることがどんどん難しくなっていきます。ですから、今のうちに十分な力を蓄えて、定年後は初速のエネルギーで一気に飛び出し、その勢いのまま走り続ける。そういう姿勢が必要ではないでしょうか。

セカンドキャリアの目標が見つからないという方は、外に目を向けてみるのもいいと思います。社内の仕事だけでは、どうしても視野が狭くなってしまいますから、社外でいろいろな人と出会い、話を聞いて、自分の気持ちを動かす何かを探してみる。そして、少しでも興味が湧いたら挑戦してみる。失敗したっていいんです。成功するまで頑張り続ければ、きっと新しい何かが見えてくるはずです。

  藤田社長もまだまだ新しい挑戦を続けられるのですか?

藤田 もちろんです。最近も「エンディングカット」という新しいサービスを始めました。これは故人様(亡くなられた方)向けのサービスで、生前に様々な理由で髪を整えることが難しかった故人様の髪をきれいにして差し上げるというものです。スポンジやパフ、メイクブラシを一切使用しない「ハリウッド・エアメイク」という技術で死化粧も施します。私はこの「エンディングカット」を自らの仕事の集大成にしたいと思っています。

 

㈱出前美容室 若蛙 代表取締役 藤田 巌
1941年、東京生まれ。大学卒業後、国内の大手電機メーカーに入社。ブラジル駐在や国内営業部門勤務を経て、58歳で定年退職。イギリスのヘアカット専門校への留学、美容室での2年間の修行を経て、60歳で福祉美容室カットクリエイト21を開業。2007年に訪問美容サービス部門の業務移管を受けて、出前美容室若蛙を設立する。▶会社HPはこちら